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痛みとの付き合い方

Shinya

痛みとの付き合い方/心の痛み/ラベンダー/カウンセリングオフィスフロローグのコラム

 梅雨のこの時期は、以前に痛めた関節などの古傷が痛くなるという話を聞くことがあります。痛みを感じると、身体がそれ以上の痛みを恐れるように、こわばって動きづらくななるように感じます。その意味では、身体の痛みというのは、それ以上無理をしないためのサインであるのかもしれません。

 ところで、「痛い」と感じるのは、身体なのでしょうか、それとも心なのでしょうか。打撲や頭痛のような物理的な痛みと、失恋や孤独などのような心理的な痛みは、一見まったく違う性質のものであるように思われますが、近年の研究から、その二つの「痛み」は私たちの脳の中で深くつながっていることがわかってきたと言われています。心が傷ついたとき、脳はそれを「物理的なダメージ」とほぼ同じように扱う、つまり、脳内の同じ場所が反応するのだそうです。

 逆に、心の痛みが身体に症状として現れることもよくあります。例えば、ストレスで胃が痛くなる、緊張で肩がこわばる、不安で呼吸が浅くなる、などです。これらは「身体化」と呼ばれる現象で、心理的な苦しみが、身体的な痛みや不調として現れる状態です。特に、感情をうまく表現できなかったり、自分の心の声を聞く習慣がない人ほど、身体にサインが現れやすい傾向にあると考えられます。
 私たちの身体と心とは、お互いに深くつながっていて、心を無視していると身体が壊れてしまうこともありますし、身体の声を聞かずに頑張り続ければ、いつか心まで疲れて果ててしまうでしょう。

 また、「慢性痛」と呼ばれる長期的な身体の痛みの場合、もともとの原因が消えていても、脳が「痛みの記憶」を学習してしまっていることで続いている場合があるとされます。このようなケースでは、「身体を治す」ことよりも、「痛みとの付き合い方を学ぶ」「痛みの意味を再解釈する」ことが重要であると考えられます。

 身体の痛みも、心の痛みも、痛みを感じている最中は、つらく、苦しいものであるため、私たちの存在を脅かす「敵」や「悪者」のように感じられることもあるかもしれません。ですが一方で、痛みというものは、自分を守ろうとする身体や心からのメッセージやサインのようなものであるとも捉えられるのではないでしょうか。
 痛みに気づいたとき、無理に押し込めたり、我慢しすぎたりせずに、ちょっと立ち止まってみることから始められるとよいかもしれません。痛みを完全に消すことはできなくても、その痛みの発しているメッセージを聞こうとする姿勢が、自分自身とのより深い関係を築く第一歩になるのだと思われます。

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